どうしたんだ日記

Resonating with the landscape

『長い道』

長い道 瀬戸内海に浮かぶ長島という小さな島で過ごしてきた70数年と10歳までの父母や祖父母と共にあった記憶を綴る。家族との別れや長島愛生園に入園してまもなく重症の足のことで仲間内から苛めにあうなどつらい経験も数知れない。それら過去から現在までをすべてのみ込むようにしてこんなにも心豊かで優しい日々を営んでいらしゃる。
 宮﨑かづゑさんの歩まれてきた長い道には灯りがいくつも点っている。出会った人々ひとりひとりの分だけ、読んできた本の数や喜怒哀楽した分だけ点っている。道は後年になるほどますます明るく照らされ広くなっていく。ガンで亡くなった親友西トヨさんとの最期の時を綴った「あの温かさがあったから生きてこれたんだよ」はトヨさんの人柄も相まってひときわ強い光を放つ。掉尾を飾るのは亡き親友に贈られたかづゑさんの詩。これこそ絶唱というものだろう。
春の緑

クロガネモチ

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3月半ばになってもたくさんの実が残っている。青空に映えてきれい。

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オセロの横顔

オセロの横顔 シアターグリーンで。
 緊張と弛緩のバランスもテンポもよくまず楽しめた。山谷典子さんの脚本によるところが大きい。
 人間はオセロの駒のように白黒併せ持ち小さくて頼りない。法律事務所にはそんな人間の抱える業が集積しているように思える。言い換えれば社会の諸問題が吹き込んでくる場所である。
 弁護士杉山らの尽力によって逆転無罪判決を勝ち取った幼女連続誘拐殺人事件の元容疑者小平慎吾は、数年後に女児誘拐殺人事件の真犯人として検挙される。小平が先の事件で冤罪にさえならなければこの事件は起こりえなかったとしてマスコミを含む世間の批判は一転杉山たちに向けられる。いっぽう新人弁護士の篠原麻衣は後に小学校の同級生であることがわかる永井さやかの弁護を引き受ける。
 格差と貧困、性暴力、ネグレクト、女性差別、癒着によって揺らぐ司法の独立性…。時を隔てた2つの刑事裁判に絡めて重い問いを次々に投げかけるが山谷戯曲の妙で不自然さはない。犯罪と冤罪が生まれる背景と人間の不可解を緩急織り交ぜたドラマで差し出す。そこに個性的で達者なキャストが相俟って見ごたえある舞台がつくられた。ラストの小さな連帯は希望だ。
 客演する小飯塚貴世江さんの存在感が光る。どんな“急”のなかにあっても常に“緩”で応じる有栖川さんに何度もホッとさせられ笑った。

マーガレット

マーガレット1

ぴかぴか光った粒の大きなユキヤナギ

あんなにぴかぴか光った 前回のブログでもとりあげたが宮崎かづゑさんは80手前でパソコンと出会い文章を綴り始められた。岡山県の生家で過ごされたのは10歳で長島愛生園に入所するまでのことである。物心がつく前の時間を差し引くならばさらに短かい。かづゑさんはその限られた年月の記憶を慈しみながらまるで映写機を回すように書き起こされる。父母との会話、農作業、季節が彩る食卓、野の花、虫たち、その時々の幼い感情の動き。どれもが今そこで息をしている。すべての文に色彩があり匂いがある。生まれてから一日も欠かさずお母ちゃんとお父ちゃんからもらい続けた深い愛に滲んでいる。

かづゑ的

かづゑ的 ポレポレ東中野で。
 これまで様々な本や映画、演劇、美術、ライヴなどに出会って救われたり励まされたりしてきた。ぼくは長いこと自分の内部に鑑賞の樹を育てている。これがまたおかしな樹で竹のように節があるけど竹みたくスラっとはしていない。全体にボコボコとして不格好で一体変わった樹だ。鑑賞の樹が便利なのは印象深く心に焼き付いたいくつかの作品や展覧会や音楽の一つひとつが大きな節になっていること。そこに触ればいつでもそれぞれが再生され思い出すことが出来る。けっこう高くなった樹には感性の葉が風にそよぎ果実を搾れば生きるため繋がるための滋養分が滴る。たぶん。このドキュメンタリーは鑑賞の樹にとりわけゴツい節を作ってくれた。

 宮﨑かづゑさんが電動カートに乗って颯爽と穏やかな瀬戸内の海沿いを行くシーンで幕を開ける。かづゑさんにとって瀬戸内海は懐かしい生家と自分を隔てる海であり人知れず流した涙を受け止めてくれる海でもあったろう。園内のスーパーに立ち寄って丸々とした新高梨を一つ選び全ての指を失った手と脇腹で抱え込むようにしてゆっくりと買い物カゴへ運ぶ。体から離れた梨はカゴの底にストンと落ちる。撮影で8年間を共にしたかづゑさんと熊谷博子監督の挨拶代わりのようなカットである。「私は、本当のらい患者の感情、飾ってない患者生活、患者は絶望なんかしていないっていうところを残したいんです。らい患者はただの人間、ただの生涯を歩んできた。らいだけで人間性は消えない……完成は急がないでいただきたい。私に見せようなんて思わないでください、本当に」撮影初日のかづゑさんの言葉がそのままこの映画制作の姿勢として貫かれただろうことが全編を通して伝ってくる。

 「らいを撮るっていうことは全てを撮らなければ、私の身体って分かりませんでしょ」そう言って入浴中の姿をそのまま撮るよう監督に注文を付けた。左足はひざ下から無く、右足はつま先が無い。カメラが入った浴室でも二人の介護者と軽口を飛ばす。かづゑさんはハンセン病と言わず「らい」と呼ぶ。らいだけは神様が人間に最初からくっつけた病気だという。「仏典にも聖書にも、日本の古い書物にも、らい者は登場する。だったら私は栄光ある道を歩いているんじゃないかな。らいはらい、ハンセン氏がつくりだしたものではない。だからハンセン病というのは嫌い」

山崎かづゑさん 10歳で発病し岡山県の生家を離れ長島愛生園に入園した。重症者だったかづゑさんは園内でいじめにあう。慰められたのは図書館の本だった。夢中になった『モンテクリスト伯』はいつでも地中海の港から港へ連れて行ってくれた。一推しはウラジーミル・アルセーニエフ『デルス・ウザーラ』だ。次いでスヴェン・ヘディンの探検記、パール・バック『大地』、武田百合子『富士日記』など。長い時間をかけて積み重ねた数えきれない読書はかづゑさんの中に瑞々しい言葉を満々と湛える深い井戸を掘った。80歳手前でパソコンと出会ったとたんその井戸が一気に溢れだす。かづゑさんにしか書けない言葉の結晶は『長い道』(監督に撮ることを決意させた)と『私は一本の木』(共にみすず書房)の2冊の本になった。
 旅行記や冒険物を愛するかづゑさんはおそらく日常の小さな台所に茶の間に、世界の食卓や料理をそこに集う人を見ることが出来るのだろう。瀬戸内の海の向こうに地中海だって見渡せるに違いない。

 映像を通して見るかづゑさんは自分を取り繕わない喜怒哀楽の人である。チャーミングでユーモラスで語彙は尽きず「ダサい」なんていう言葉も飛び出す毒舌家だ。もちろん文学も合わせて才能の人である。比類のない感受性と世界観を育んだのは読書だけではない。数カ月に一度面会に来て抱きしめてくれたお母ちゃんの存在が何より大きかった。「人間て怖い動物なのだろうか。違う、愛の固まりでもある。どっち、どなたか私にこのことを教えてください…」ハンセン病の感染が判明してから入所してまもなくの頃を述懐したものの一部である。「愛の固まり」を身をもって教えてくれたのは大好きなお母ちゃんだった。

 傍にいたなら叱咤されたり笑わされたりとさぞかし賑やかな人なのだろう。数々の“かづゑ節”を集めれば「生き方案内辞典」が出来る。辛辣なこともさらりと言う。もっともシビア過ぎてNGになったシーンもあるとか。傍にいたといえば2020年に94歳で亡くなったお連れ合いの孝行さんもステキな方だ。勤めの傍ら畑を耕し漁に出る働き者。この人あってのかづゑさんであり、かづゑさんあっての孝行さんだった。福岡市出身の孝行さんはホークスの大ファンである。二人連れだって福岡ドームのスタンドで応援する姿は最高にイカしている。お二人に共通するのは突き抜けた楽天性である。元ハンセン病患者の方といえばぼくがかつてお世話になった作家の冬敏之さんもそうだった。優しくて面白い人だった。それは何か強靭な意志を以って鍛えあげられた楽観主義から生まれるものではなかったか。

 お二人の魅力と自然の美しさについ舞台がハンセン病者療養所であることを忘れてしまう。園内の納骨堂は亡くなった順に安置されるというルールがある。たとえ長いあいだ連れ添った夫婦と言えども隣り合って眠ることは出来ない。これを知ったとき襟首を掴まれて現実に引き摺り戻された気がした。この国では1907年に明治政府によって制定された「らい予防法」がほんの28年前まで生きていた。90年の長きに渡って隔離政策が存続した国は日本以外にない。当事者たちが起こした違憲国家賠償請求訴訟によって国の過ちが認められたのは2001年のことだ。

 長島を眺望する場所からかづゑさんが言う。「いろんなものがいっぱい見える。…私が生きてきた生涯がみんな見える、こうして見たら、なんだろうねぇ、この島は。不思議な島でねぇ。天国だし、地獄だしね」

熊谷博子監督 熊谷博子監督の映画は2005年の「三池 終わらない炭鉱の物語」もそうだが観る者を誘導しない。一定の思想や主義主張による視点も皆無だ。ただ「この人生を残しておかなければ」の一念のもとありのままを記録するべく客観性を大事にされている。8年の歳月の内にカメラさえも風景の一部になってしまったのではないかと思わせる。だからこそ間口が広く多様な捉え方を提供することができるのだろう。だからこそ観る者の内に問いと思考が次々と生まれてくるのだろう。

 上映後舞台挨拶に立たれた監督によると宮﨑かづゑさんは先月96回目の誕生日を迎えられたそうだ。視力の衰えは進行しているが今は水彩画にはまっておられるとのこと。そのポストカードを迷わず購入した。「誤解を恐れずに言えば“泣いて笑って、元気になれるハンセン病映画”である」とパンフで述べる監督は観た人の口コミが何よりの宣伝になると訴えられた。2度観たら2通りの、3度観たら3通りの味わいを得られそうなほど受け取るものが多い作品だ。少なくとももう一回は観たいと思っている。
 「できるんよ、やろうと思えば」
かづゑさんの水彩画

ガープの世界

ガープの世界 第二次世界大戦さなかのアメリカ。
 看護師のジェニー・フィールズは恋愛や結婚を嫌悪していたが子どもは望んでいた。ある日瀕死の重傷を負って搬送されてきたガープ三等軍曹と感情抜きのセックスをして赤ちゃんを授かる。生まれた子はT・Sガープと名付けられた。

 父と兄が卒業したスティアリング学院に新たな職を得たジェニーは学生の保健に携わる傍ら図書館の蔵書を次々に読破する。後に豊かな読書と自身の経験から生まれた唯一の著書『性の容疑者』は女性たちに歓迎されベストセラーとなる。脚光を浴びた彼女はフェミニストのリーダーへと押し上げられていく。

 いっぽうガープは幼いころから遊び場にしていた母の職場スティアリング学院に入学する。若者たちが柔らかな床と壁に囲まれた暖かい部屋でトレーニングする風景に魅了されたジェニーの導きでレスリングを始める。コーチのアーニー・ホームの一人娘はパートナーとなるヘレンだ。将来二人の間にはダンカン、ウォルト、ジェニー3人の子が生まれる。ヘレンもジェニー同様読書家でありガープは二人の影響も受け小説家を志すようになる。

 死と暴力と愛とユーモアの混然とする中にガープの小説2篇も折り込まれて900頁弱の物語は進行する。凄惨な場面にも「次はどうなる」の連続と多様で多彩な人物造形のおかげで閉じる暇はなかった。78年発表だが挿話の一々が現在形なのも引きつける。子育て、ジェンダー、性虐待、ミソジニー、第二波フェミニズム。直接は描かれないがガープ20代のアメリカではケネディ暗殺がありヴェトナム戦争があった(アーヴィングは彼の家族で唯一収入を得ていたという理由で徴兵を逃れている)。民主党による福祉国家的な自由主義路線のなか公民権運動、反ヴェトナム戦争運動が広がり新しい価値観を創造するカウンターカルチャーが興隆した。
 自宅が仕事場のガープは育児をし家族の食事づくりをはじめ全てのケア労働を受け持つ。子どもに対しては心配性が過ぎる面もあるが未来を担う人のために生き生きと立ち働く姿は頼もしい。

 作者のリベラルな思考はガープ同様青春期に打ち込んだスポーツ(レスリング)から学んだ「フェアプレイの精神」によるものだという。もっともアーヴィングへのインタビューなどを読んでもその人となりを掴むのは難しい。『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』(村上春樹 編訳)を開いてみたがどこか人を煙に巻くようなところがある。考えてみれば作家は作品で決着するのだからそれでいいのかもしれない。

3月の 特に魅力的に映った登場人物と言えばトランスジェンダーのロバータ・マルドゥーンだ。フィラデルフィア・イーグルスのタイトエンドでスター選手だったロバートは引退後に性転換手術を受けロバータとなる。弱者の痛みを知る彼女は持ち前の発想力と行動力でジェニーの運動を支える。ガープやヘレンも度々窮地を救われる。2人の最良の理解者でもあった。後半で見せる献身的な言動にマルドゥーンはきっとどこかに実在すると信じたくなるほどだ。 
 どこにでもあってどこにもないここだけの世界。ガープ33年の生涯を縦糸とした彼を取り巻くクセの強い人々が織りなす布は無慈悲で儚く優しい。いつしかこの布に自分の世界の布が重なり所々で滲みあう。

 このページの向こうには何が待ち受けているのだろうという期待が最後まで捲らせ続ける。これこそが物語の大道ではないか。ぶ厚い本を読み切ったときの充実感と達成感は大人になっても変わらない。

沈丁花

DSCF9027 部屋に香る春。










沈丁花

光を呑む

光を呑む 今日の陽射しと暖かさに開ききる。

ゆっくりひらく

今朝 昨日の冷たい雨にじっとしていたつぼみがひらきはじめた。この時期のバラは慎重だ。季節の変化を窺うように時間をかけてゆっくり咲く。






青い空と