どうしたんだ日記

Resonating with the landscape

2015年02月

希望

DSC_0640ぼくの住むところと、友のいる町々と、日本と、世界を一本の棒のようにして見、過去と、今と、未来を結んで生きる。DSC_0626

腰とimagine

 腰が痛い。数日前までは背骨がずれたみたいな痛みが続いていた。そっちは今はおさまっている。1月11日に自転車ごと自動車に跳ねられスローモーションで宙を飛んだ。もうあれかなと思いながら背中から落ちた。背負っていたリュックが頭を守ってくれた。ふだんは前かごに入れるのだがその日は背負っていた。8ヶ月前に新しくした愛車はくにゃくにゃっとしてオブジェになった。2月8日には、銭湯で腕時計を無くした。去年の夏に再び走り始めたとき買ったものだった。そして22日、その守り神のリュックを紛失してしまった。プライベートはだいたいこんなふうに進行している。でも元気。だけど腰が痛い。めずらしくこの時間になっても眠れないのでジョンレノンのimagineを聴きながらスマホで書いている。RUM-aXOE2PXyp6P7GMgwFeQkyYTj9xZ22c344_3ZPVE=s0-d

『検察官』

IMG_20150225_2257551424937184552IMG_20150225_181606 紀伊國屋サザンシアターで劇団東演の『検察官』を観てきた。
 演劇って奴はまったくどうしてそこまで…
 励まし、人生のサポーターなんだろう。
 いやもう、業の肯定なんである。人間とはアホの洪水、垂れ流し。
 二重三重の落ちに、参った。
 高みの見物と決め込んで笑い転げていたぼくは鏡を覗いていたことにようやく気づいてギョッとなった。
 和風に言えば群集落語劇?って感じか。楽しかったしちょっぴり怖くもあった。
 兎に角、お前よお前のバカを恐れるな!って天の声を聞きました、確かに。
 明日もやるぜよ、ワシ自身の舞台を。
 だけど、まくし立てるなら日本語よりロシア語かね。もちろんロシア語知らんが。

春の光

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 一週間くらい前、赤塚城址付近で。北風の強い日で福寿草や水仙、檀香梅などが揺れていた。だけどレンズを通すと暖かい季節は確実に近づいてきているとわかる。この時期の生命や光のふるえ、柔らかさ繊細さが好き。

カワヅザクラ

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 石神井川にかかる中根橋のたもとに一本だけあるカワヅザクラが開花した。もうあとひと月半もすれば延々と両岸をうめる桜が川面にそそぎ込むようにして咲くだろう。くる年も来る年も前座に徹するこのひとり河津桜が好きである。
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『地方国立大学 一学長の約束と挑戦』それからアトム共同保育所のこと


IMG_20150218_112008  昨年末に太田政男先生と飲んだとき、「今度ヤマケンが本を出すんだけど、オレも対談で出てるんだ」と教えてもらったのがこの本。
 
 太田先生の親友山本健慈さんは先生と同じ社会教育学者で現在和歌山大学の学長であり、昨年の卒業式の式辞(「不安に抗し、学び続けるために」)で学びの自由を阻害する秘密保護法に抗うことを宣言した人だ。勇気ある言動を伝える新聞記事に大学の良心を見て喝采を送った人も多かったのではないか。
 
 ぼくももちろんその一人だけど山本さんといえば個人的にはもう一つの顔であるアトム共同保育所の理事、所長としてのイメージが大きい。
 
 学童保育所の父母会にかかわっていたころ、何か問題が持ち上がるたびにアトムについて書かれた本や教育雑誌に掲載された記事をバイブルのように紐解いた。子どもも保護者も保育士もみな自分をさらけ出し丸裸でぶつかり合いながら共に生き、学び、育ち、過ちや失敗の中に人間の成長の豊かな資を見出していく姿勢にぼくは親の立場をこえて励まされた。ここ(保育所)は未熟でアホちんで頼りない自分自身の学びと成長の場(地域)でもあるのだと理解したとき、父母会長という役にどこか力んでいた心と身体がすっと楽になったのを憶えている。卒所後もNHKで放映された『裸で育て君らしく』の録画を携えて呼ばれもしないのに父母会の邪魔をしたりした。

 大阪の小さな無認可共同保育所(当時)になぜあれほど惹きつけられたのか。アトムの実践は保育や子育ての方法論の領域をはるかに超えて、人として本当に豊かに生きるためのヒントがいっぱい詰まっているからであり、自分の仕事だった社会教育そのものだったからだろう。そして何よりも自分自身が社会の中で言葉にならない生きづらさや息苦しさを抱えていたからだ。新著を読んでみてあらためてその思いをつよくしたんである。  

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  和歌山大学は今「学生の生涯を支援する大学」を宣言し、それを実現するために「人と地域を支え、人と地域に支えられる大学」を目指している。“大学はあなたの生涯を応援します”との学生や卒業生にとって頼もしく心強いスローガンが生まれた背景には、地方国立大学、学生、地域社会を取り巻く様々な困難とそのひとつひとつにしっかり向かい合ってきた学内外の様々な人たちの姿がある。
 2004年、国立大学は法人化され市場への扉を開(かされ)いた。以来、激しい競争にさらされるようになりどの現場でも財政縮減と人員削減によって多くの教職員が疲弊しているという。最近では「(地方の)末端レベルは職業訓練校にすればいい」といった経済界の乱暴な議論もあるとか。
  
 そういう中で例えば山本さんは副学長時代、全職員150人が10人ずつのグループに分かれてのミーティングを定例化し、悩みや職場や同僚への恨みつらみも含めて全部出し合ってもらうようにした。ここでもアトム(社会教育)方式が採用されている。この時の経験と膨大な情報の蓄積が現在に役立ち生かされているのだそうだ。
 読みながら、地域へ開く、ということはまずそこに臨む人一人ひとりが自分自身を開いていくことから始まるのではないかと思った。このミーティングがひとつのトレーニングの場になっていったことはぼくにも想像できる。

 そこに置かれた人たちが形式や管理の枠をいったん脱ぎ去って物事の本質を掴む、新たな選択肢を発見する、あるいはその過程を蓄積して力に変えるといった実際的な学びの方法を社会教育はその歴史と経験からいく通りも持っている。困難を前にしたとき人同士が支え合い励まし合いながら学ぶことによってそれを克服しその向こう側へ希望を見出し未来を切り開いていく、なんつうか瀬戸際に立たされたときこそ大いに力を発揮する手法であり学問でもあるとぼくは思っている。そんでもってえらそうに述べるぼくの社会教育経験はほんのちょっとで貧しい。ヒヒ。

 そんなことはさておいて山本さんの、“教職員も含めて「あなたの生涯を応援します」ということなのです。”という言葉に当たったりするとハッとさせられ、さすがだなと思うんである。“「ひとりが持っているトラブルを共有し共に学ぶ」のが社会教育の原理”とかこの本にはそういうハッと気付く箇所が其処此処に散らばっていて、ぼくなんぞそれを集めただけでなんか自分がちょっとはましになったんではないかと勘違いしている次第。
 
 読み通してみてあらためて浮かび上がってくるのは、育児も大学も現在とても厳しい状況にあること。その要因として格差からくる貧困や他者の手にかかることの少ない孤立した子育て環境などがあるのだろう。地域という言葉は知っているけど見たことないという若い人もあるそうだ。
 山本さんは、こんなときだからこそ安心して自分をもっと誰かに委ねられる、ぶつけられる、迷惑をかけられる場を縦横につくろう、その経験を蓄積しようと呼びかける。
 
 うーん、自分の近所の大学や保育所などがいま地域に何を求めているのか知りたくなってしまった。逆にぼくらは何を求めるべきかについても考えてみたくなった。それら含めて地域やまちづくりについても。
 
 いや励まされた。教育や行政に携わる人はもちろんだけど、子育て中のひと、まちづくりに関心のある人、職場で行き詰っている人、人間不信の人、進学しようと思うけど何をしたいか分からない人、とにかくいろんな人に読んでほしい。目の前の困難や混迷は新たな一歩、山本さんが言う新たな社会運動づくりへ踏み出すチャンスなんだと確信するだろう。