どうしたんだ日記

Resonating with the landscape

2015年12月

『キネマの神様』

P1090300 読み終えたばかりの本を眺めるのが好きだ。
 思わず力が入ったり、読み返したページは開き癖がついていたり皺が寄っていたりする。自分がつけた足跡を見ながらストーリーをたどり返すのも楽しい。ふと、人生もそうかなあなんて思う。癖のある人生。なんてな。


 真冬の外遊びから帰宅して炬燵に足を突っ込んだときのつま先から体だがじんわりと温まっていく懐かしい感覚。『キネマの神様』(原田マハ)はそんな小説。ダメダメな連敗続きの人生に一条の光が差したとき、その光は本人だけでなく家族や周囲の人々をも照らし温める。 
 
 光源は子どものころから夢中で見続けた無数の映画、そして町々の小さな映画館。
 ラスト。名画座でかけられる作品はぼくも大好きな一本で、出だしのシーンが脳裏の銀幕に投影され図らずも涙腺がゆるんでしまった。神様は映画を愛するすべての人の心ではなかったか。
 原田マハさんいいなあ。
 ああ映画館行きたい。そしてキネマの神様、ゴウちゃんが他人と思えないオレにも光を。

あの夏の絵

DSC_3039 スタジオ結で、青年劇場公演『あの夏の絵』を観た。

 高校生が被爆体験を聞き取り、絵にする。広島平和記念資料館が主催する「次世代と描く原爆の絵」というプロジェクトに取り組んだ広島市立基町高等学校創造表現コースの生徒たちをモデルに舞台化したものだ。


IMG_20151213_070829 戦争を知らないぼくたちが戦争体験をどのようにして後世へ伝えていくのか。
 戦後70年といっても、遠い未来を見据えるなら、あの戦争をついこの間の出来事とらえることができるし、何より“体験させられてしまった”方たちと時間をともにする最後の世代として、我々にしか担えない役割と責任があるはずだ。そう考えずにはいられない。そんな思いに、この芝居はひとつの答えをくれる。

 亡くなった祖父の被爆体験を聞かなかったことを後悔し始めていた被爆三世で高校美術部員の恵は、顧問が持ち込んだ“被爆証言を聞いて絵に描く”取り組みに参加することを逡巡の末に決める。
 15歳で被爆した白井さんは、昨年の集団的自衛権の閣議決定に言い知れぬ不安と危機感を覚え、70年近い沈黙を経て体験を語るようになった矢先、恵たちと出会う。

IMG_20151213_070732 私はあなたではないし、あなたは私ではない。だからあなたのことを知りたい。私のことを知ってほしい。話して欲しい。話を聞いて欲しい。他者を理解することはまずここから始まるのではないか。

 恵たち部員3人は時に反目しあいながら、想像しがたい過酷な体験談に耳を傾け、70年前の白井少年と同じ道を歩き、同じ場所に立ち、想像し、語り合い、絵筆をとる。
 一方、彼女たちの絵を通じて白井さんの記憶も新たに蘇ってくる。その都度油絵は何度も何度も描き直され上塗りされる。他者の記憶を描くという行為とその連なりにある様々な体験が、若者を傍観者から当事者へと変えてゆく。恵たちにとって白井さんの存在が、三人称(あの人)から二人称(あなた)になり、結局一人称(自分事とする)となる。この成長過程が、巧みな演出によって清々しさと同時に大きな希望をくれる。

IMG_20151213_070743 恵たちは資料館で見た被爆人形が怖くて夢に出るくらいだったのに、自分で絵を描き始めるとその感情は沸いてこない。被爆者が2人称以内の近しい存在となったとき、いつしか消えてしまったのだろう。
 白井さんは白井さんで聴き手であり若い絵の語り部という友を得て、証言活動に確信と励ましを貰う。
 そして口をつぐんでいた恵の祖母にもきっかけが訪れる。

 体験したものと、していないものの間に横たわる深い河に橋を架ける、あるいは対峙していた者たちがいつの間にか肩を並べて同じ行く手を見ている。一本の絵筆に、これほどまで力があったとは。
 
 表現活動や美術教育の大切さと豊かな可能性も思わずにはいられない。

 キャスト6人共に素晴らしい演技だったが特に高校生役3人がよかった。東京から来た奈々はその声、性格共に娘の十代のころにそっくりで驚いた。おかげで舞台の上からいつこちらにとばっちりが来るかとドギマギしましてしまったわ。

IMG_20151213_070853 戦争を体験していないものがそれを語り継ぐことは可能だ。例えばある病気を経験していないのに予防はできる。病気を語ることはできる。端的に言ってしまえば、知らなければ、予防しなければ、病気にかかってしまうからだ。自分事だからだ。同じように戦争も被爆も自分事とする。その方法はこんなにも多様ではないか。そこから始めて、反戦の処方箋を、平和のレシピを、みんなでつくるのだ。つくり続けるのだ。

 人は誰でもいくつになっても出会いによって新しい一歩を踏み出すことができる。そのとき、見慣れた景色もきっと違って見えるはずだ。それはもちろん、いい芝居を観たあとの家路もそうなのである。DSC_3072

井上長三郎・井上照子展

DSC_3460 板橋区立美術館で、『井上長三郎・井上照子展~妻は空気・わたしは風~』。http://www.itabashiartmuseum.jp/main/exhibition/ex151121.html
 
 戦前は池袋モンパルナスと呼ばれた地域に住み靉光、松本竣介、寺田政明らと新人画会を結成、戦後は95年に89歳で亡くなるまで長く板橋に暮らし絵筆を振るった井上長三郎についてほとんど知らなかった。
 展覧会は井上夫妻の画業と生涯をコンパクトかつ充実した展示で追うことができるようになっていて、ぼくのような井上未体験者も十分に楽しめた。

 印象に残ったのは、『東京裁判』や韓国の独裁政権に対して学生や市民が蜂起した『光州事件』など政治の歴史的な出来事をモチーフとした作品群。長三郎の社会へ切り込む姿勢と、その関心が隣国にも向かっていたことが興味深かった。

 一方で文学に材を求めた作品も目を引いた。『ドン・キホーテ』や『楢山節考』などで、長三郎の文章に漂うユーモアはおそらくたくさんの活字に親しんだことが影響しているのではないかと思われた。

 画風もどことなく可笑しみを感じるものが多く、『会議』に描かれている疲れ果てた政治家などは風刺に満ちている。

 照子は対照的で一貫して明るめの色使い。後半は抽象画に傾斜していったようだ。

DSC_3464 板橋区立美術館は敷居を低くして下駄履きで味わうアートを提唱しているだけにビギナーに優しく、美術館通いの人々を増やすことに貢献している。基礎自治体の運営する美術館の可能性を開く役割を大いにはたしているわけでその土台には自覚的で優れたキュレーターさんたちの存在がある。
 展覧会はもちろん地域と結びつくイベントなどからもその姿勢と意気が伝わってくる。
 次回の企画展も楽しみだ。ユリノキ2



 

再び赤塚の森へ

DSC_3438昨日、赤塚の森で。

一昨日の温かさで紅葉も今日限りと植物園の園丁さんが言っていた。

葉が落ちたって、森は生の賑わいを止めないのだ。

ハクモクレンの可憐なつぼみを見れば早くも春が待ち遠しいのである。
DSC_3417DSC_3442  DSC_3453

12月8日

1941年と1980年の2つの今日が、遠ざかるほどに重くなってゆく。

そして2015の今日。
偶然だけど、極私的な2つの喜びと希望を歌うのだ。

高らかに。

共通するのは、いのち。

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赤塚の森の多色刷り

DSC_3388赤塚植物園。
師走に入ってようやく紅葉が盛りに。


“冬木立注釈無用で生きてみろ”
DSC_3380東京新聞の文化欄で紹介されていた、文芸評論家井口時男氏のこの句には励まされる。DSC_3374DSC_3367

団子結びのほどき方

IMG_20151205_152822 身長187㎝の若さは全くもってフルスピードだ。
 日毎に、いや半日毎、数時間単位で若者の身体はみるみる回復してゆく。
 くたびれたオッサンにはそれだけでまぶしく、頼もしく映る。
 
 来週からはリハビリ専門の病院へ転院し、そこでは社会復帰へ向けての嬉しいシゴキが待っているとか。
 
 硬く団子結びされてしまった紐を幾つもいくつも解いて行くような日々がこれからもしばらくは続くわけだけど、何が一番したい?と訊ねたなら、「腹いっぱい飯喰いたいッス」と即答するあなたのことだから大丈夫。
 またあの町の食堂で名物“欲張りプレート”を共にする日も近いだろう。
 
 気がつけばえらそうに言うオレの中にも団子結びが結構住み着いていて、しかも強情で頑なで多くは思い過ごしのくだらないものばかり。
 今はそんなものに苛まれているのだがあなたを見ていると、そいつらがいつの間にかゆるりとする。
 
 ありがとう。

IMG_20151205_232331 団子結びを解くのは実は30年前に死んだばあちゃんがうまかったんだ。幼かったオレにとってビニール紐の難儀なやつだって手際よく根気よく解いてくれる手は魔法のようだった。

 まだそんなに付き合いの古くないあなただけど、偉丈夫の、造り付けでない優しさにぐっと引きつけられる。その優しさがとうに忘れてたあの手際を思い出させてくれた気がするんだ。

 焦らず、イライラせず、まあたまにはイライラしながら、団子結びを緩め、解いていこう。

休日

IMG_20151204_152337IMG_20151204_152216 体が謀反を始めたので休みをもらった。
 パソコンで『酒中日記』をめくったらいつぞやぼくが感想文を書いた町田康『告白』読んだとあった。800頁超の小説をセンセイは超多忙な身でいったいいつ読んだのだろう。すげぇなあ。評も、的確でさすがだ。比較的暇のあるぼくでさえ結構時間を要したのに。もちろん脳内の引き出しの数がこちらとは桁違いだとはわかっているけど、それにしても。まあ、お酒の中を泳ぎながらブログを書くくらいだから、寝床(睡眠)読書なんてのはお手の物かもしらん。センセイの体は“本”“映画”“演劇”“日本酒”の四つで出来ている。多分。あ、五つだ。一番重要な成分のKコさんを忘れるとこでしたわ。

 午後は城北公園へ。北風が冷たかったけど抜けるような青空と黄金色の銀杏で心を洗う。

もちろん正しいバラッド

IMG_20151204_120625 見舞いの行きがけに長田弘『言葉殺人事件』をめくっていたら、こんな詩にあたった。
 物事の真実や本質を、あるいは為政者の欺瞞をシンプルな言葉で見事に射抜く詩人という職人を、ぼくは尊敬する。
 さりげなく用意された逆転ホームランの愉しみ。...

 
 もちろん正しいバラッド
           
            長田弘

守らねばならない、
それが法だということは
もちろん正しい。

法外も無法もない、
それが法だということも
もちろん正しい。

報知せず報復する、
それが法だということも
もちろん正しい。

法なしにやってゆけない、
それが法だということも
もちろん正しい。

もちろん正しい。
もちろん正しい。
もちろん正しい。

もちろん正しい。
それが法だということ。
それだけが間違っている。

「美しい」の在り処

IMG_20151130_104206 先日、入院しているKの入浴介助をして、30年前の1日を思い出した。

 当時、20代前半だったぼくは埼玉の病院で、看護師を目指すやはり20代の同僚Sと組んで週に一度、百人を超える入院患者さんの入浴介助をしていた。

 ある日のこと。
 いつものように入浴リフトを挟んでぼくの向こう側、暴走族上がりでまだトンガリ気分の抜けきらないゴム長にエプロン姿が汗だくになって他人の体を一生懸命洗っていた。

 ぼくは石鹸を洗い流すシャワーを準備しながら、しばしSの姿に見入った。

 そしてふっとその表情を、美しい、と思ったのだ。突然、天から降ってきたように。

 以来、ぼくにとっての“美しい”という言葉の中には、他人のために無心になっている人の横顔がある。

 おそらく人はこうした瞬間に言葉を獲得してゆくのだろう。

 みなそれぞれが、それぞれに言葉の在り処を持っている。

 少なくとも誰かから教えられたり押し付けられたりするものじゃない。

 Kの一か月ぶりの入浴はぼくと若い女性の看護師さんで介助した。

 明るく声をかけながら経鼻チューブの養生をする看護師さんの横顔はやはり美しいのだった。

 そして久しぶりの洗髪で、さっぱりとしたKも。

 はて、オレはどうだったか。