どうしたんだ日記

Resonating with the landscape

2016年07月

ウルフ逝く

めちゃくちゃ強くてカッコよかったアスリート横綱。ぼくら世代の実在ヒーロー。大好きだった。個人的には他にくらべたら鉛筆にも見える体躯で平幕から小結、関脇と駆け上がっていった頃が特に。格上の力士たちを睨み付けてひくことを知らなかったあの鋭い眼光。立ち合いの踏み込みと前みつの速さ。
悲しい。
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ジリジリ②

今日も朝から高気圧。近所の小学校のグラウンドにて。仕事前に一杯のコーヒーを求めて喫茶店行ったらclosed。あれ日曜日やったわ。曜日と無縁の日々。

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高気圧ジリジリ

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昨日は仕事であちこち自転車こぎまくったせいかしら先ほど太ももの内側がつってギャッと叫んで目が覚めた。暇なのでこうしてブログを上げる。梅雨明けからジリジリ比較的乾いた暑さ。萎びたひまわりはオブジェのようだ。7月が忍者のように去っていく。
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スクガラス

かわいい。image

続 靴磨き

何だかハマってしまい今夜は相棒の靴を手入れした。一心不乱に磨いていると目にしていない履き主の日常が浮かんできて不思議。この靴底は一体今日までどこを歩きどんな経験を踏んできimageたのか。あなたの全体重を支えて。その重み(すんません軽みですかね)は体重だけではない。お礼したり平身低頭謝ったり、それこそ喜怒哀楽を共に背負ってくれているんだよなあ。誰かの靴を磨くと、なんつうか、その人の日々を、生き方を想像する。それはやがて、感謝の気持ちになる。今頃になっていつも黙々と家族の靴を磨いていたおふくろを思い出す。

磨く

くたくたになるまで履きたいから磨くし、くたくたになるまで生きたいから自分もそこそこ磨こ。フフフ…image

百日紅

夜の百日紅もまた一興。image

ランプシェード

 P1140274数年前、芝居の小道具を格安で買った。一部修復済み。最近、夜はこれで過ごすことが多い。
 ステンドグラスを透す光って見ているだけでなんつうかこう、敬虔な、やさしくて穏やかな気持ちになれる。野蛮なオレでさえも。

タイタンビスカス

調べたらアオイ科フヨウ属なんだそう。一日しか咲かない。タイタンてば土星の衛星だけど、そう言われてみれば妖女のような。出展はヴォネガットの名作、『タイタンの妖女』。もちろんこじつけ。

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アルバレス・ブラボ写真展~メキシコ、静かなる光と時

P1140176 ほぼひと月ぶりに休みをとって今日、大木の緑が吐き出す酸素が濃く感じられた砧公園の中の世田谷美術館で。
 マヌエル・アルバレス・ブラボ(1902年~2002年)はメキシコの世界的な写真家。初めてその作品をみた。目に映るもの次から次へとシャッターを押して楽しんでいると思わせるものが多く、ついこちらも頬が緩んだ。笑顔になれる展覧会は久しぶりかも。メキシコシティの街中で被写体になった人々はみんな素知らぬ顔をしている。カメラを向けられてもお構いなしという感じがとてもいい。それだけブラボおじさんが風景の一部に溶け込んでいたのだろう。トラがグルグル回って溶けてバターになっちゃう話があるように、写真家も溶けて風景になるくらい毎日毎日街を歩き回っていたんだきっと。どこかユーモアを湛えながらも土地柄か生命の誕生と死の陰影も濃い。オロスコ、リベラ、シケイロス、そしてフリーダにトロツキイやブルトン。交友範囲も広かったらしく彼らのポートレイトや日常の姿にも心惹かれた。メキシコで開かれた若きブラボ初の個展パンフにビジャウルテイアという詩人が寄せた言葉が印象的だった。「頭の中の手で仕事する思想家と違って、彼は手の中にある頭で仕事をする」。確かこんなことが書かれてあった。ブラボの人となりとその仕事を言い表しているのだと思った。おそらく美術館は、会えなかった何者かとの対話を楽しむ場所でもあるのだ。そう考えさせられる展覧会だった。P1140173P1140180P1140187