2016年12月
昨日六本木ミッドタウンにある富士フイルムスクエア写真歴史博物館で。
人物写真は撮られる側と撮る側の関係性が如実に表れる。親子やカップル、友人などの親密な間柄ではこういう写真は生まれないだろう。写真のなかの人びとの眼差しは撮り手の眼差しへの応答ともいえる。
もう何年も前になるが、牛腸さんの写真集『SELF AND OTHERS』を手にしたときに深い感動を覚えたのは、写真からこれほどまでに他者の存在というものを深く意識させられたことがなかったからだった。見知らぬ人からレンズを向けられたときの戸惑いとか不安、けっして寄っていかない(寄れない)対象との距離、緊張感、(時間もおそらく浅い)、など構図の情報がそのことを投げかけてくる。同時に他者を認めることは自己の存在をいやがおうでも意識するということであり、そこに向かい向かわせる牛腸さんの内面も想像しないではいられなくなる。3歳の時に胸椎カリエスに罹り成長が止まり、背中が曲がる後遺症を生涯持ち続け、1983年に36歳で亡くなった。
(作品は)身体的なハンディキャップから「見ること」と「見られること」を強く意識せざるを得なかった牛腸茂雄のポートレイトでもある、という解説があった。そして晩年は対象との距離が近くなっていったとも。
もともと牛腸さんは才能豊かなデザイナーだったが写真家大辻清司さんとの出会いを機に手段を写真に変えた。写真表現でしか伝えられないものが確かにあるとこの小さな展覧会は教えてくれる。カメラは他者や自然と自分、つまりは世界と“私”の関係を築いてゆく上での最良のヘルパーといえるかもしれない。モノクロ4枚が牛腸作品。子どもも多い。
人物写真は撮られる側と撮る側の関係性が如実に表れる。親子やカップル、友人などの親密な間柄ではこういう写真は生まれないだろう。写真のなかの人びとの眼差しは撮り手の眼差しへの応答ともいえる。
もう何年も前になるが、牛腸さんの写真集『SELF AND OTHERS』を手にしたときに深い感動を覚えたのは、写真からこれほどまでに他者の存在というものを深く意識させられたことがなかったからだった。見知らぬ人からレンズを向けられたときの戸惑いとか不安、けっして寄っていかない(寄れない)対象との距離、緊張感、(時間もおそらく浅い)、など構図の情報がそのことを投げかけてくる。同時に他者を認めることは自己の存在をいやがおうでも意識するということであり、そこに向かい向かわせる牛腸さんの内面も想像しないではいられなくなる。3歳の時に胸椎カリエスに罹り成長が止まり、背中が曲がる後遺症を生涯持ち続け、1983年に36歳で亡くなった。
(作品は)身体的なハンディキャップから「見ること」と「見られること」を強く意識せざるを得なかった牛腸茂雄のポートレイトでもある、という解説があった。そして晩年は対象との距離が近くなっていったとも。
もともと牛腸さんは才能豊かなデザイナーだったが写真家大辻清司さんとの出会いを機に手段を写真に変えた。写真表現でしか伝えられないものが確かにあるとこの小さな展覧会は教えてくれる。カメラは他者や自然と自分、つまりは世界と“私”の関係を築いてゆく上での最良のヘルパーといえるかもしれない。モノクロ4枚が牛腸作品。子どもも多い。
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