どうしたんだ日記

Resonating with the landscape

2016年12月

ローヤルさん

近所の北町商店街で買い物。ローヤルさんのでんごい(大きな)ケーキ。動物たちも住んでいる。image

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第九

年末と言えば第九か「芝浜」でしょう。image
昨夜は銀座のミニ第九。第四楽章のみ。いっしょに歌える近さがすごい。
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望年会ラスト

今年もお世話になりました。これから今年ラストの望年会@銀座に向かうだす。image

冬空

DSCF9861 (2) 仕事場へ向かう途中の芒。午前中は事務所の看板取り付けなど。風はなかったけど空気が冷たかった。最近は横断幕や看板の作成依頼が多く、今日は知り合いもたくさん住んでいる埼玉のF市からあった。DSCF9857 (2)

平和公園

DSCF9674 (2) 年の瀬の平和公園。冬はヒマラヤ杉や桜、銀杏、楠などの大木がその影を大きく伸ばす。冷たい北風のなかで母子がサッカーに興じていた。








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光の中に

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みるみる太陽が傾いてゆく中で、植物たちが光放つ瞬間。葉がすっかり落ちた、冬木立の贈り物。
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おさかなとへ

DSCF9484 昨日は写真展を六本木富士フィルムスクエアで、公民館時代にお世話になったSさんの主宰する芝居を池袋のシアターグリーンで観た後、ときわ台のおさかなとさんへ。祝日で九州の鮮魚が届くのが遅れ、6時まで飲み物とお通しで待つことに。頼んでおいた5種盛りが店長のサービスで7種盛りに。朝まで玄界灘を泳いでいた魚はどれもコリコリの歯ごたえ。お酒も山口、福岡と西へ西へと一杯ずつ選んでみた。上から雁木(岩国)、六号(久留米)。ここはお料理もお酒も本当にハズレがない。




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牛腸茂雄という写真家がいた。

DSCF9454 (2) 昨日六本木ミッドタウンにある富士フイルムスクエア写真歴史博物館で。
 人物写真は撮られる側と撮る側の関係性が如実に表れる。親子やカップル、友人などの親密な間柄ではこういう写真は生まれないだろう。写真のなかの人びとの眼差しは撮り手の眼差しへの応答ともいえる。
 もう何年も前になるが、牛腸さんの写真集『SELF AND OTHERS』を手にしたときに深い感動を覚えたのは、写真からこれほどまでに他者の存在というものを深く意識させられたことがなかったからだった。見知らぬ人からレンズを向けられたときの戸惑いとか不安、けっして寄っていかない(寄れない)対象との距離、緊張感、(時間もおそらく浅い)、など構図の情報がそのことを投げかけてくる。同時に他者を認めることは自己の存在をいやがおうでも意識するということであり、そこに向かい向かわせる牛腸さんの内面も想像しないではいられなくなる。3歳の時に胸椎カリエスに罹り成長が止まり、背中が曲がる後遺症を生涯持ち続け、1983年に36歳で亡くなった。
16100104_03[1] (作品は)身体的なハンディキャップから「見ること」と「見られること」を強く意識せざるを得なかった牛腸茂雄のポートレイトでもある、という解説があった。そして晩年は対象との距離が近くなっていったとも。
 もともと牛腸さんは才能豊かなデザイナーだったが写真家大辻清司さんとの出会いを機に手段を写真に変えた。写真表現でしか伝えられないものが確かにあるとこの小さな展覧会は教えてくれる。カメラは他者や自然と自分、つまりは世界と“私”の関係を築いてゆく上での最良のヘルパーといえるかもしれない。モノクロ4枚が牛腸作品。子どもも多い。

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北風

今日は昨日とうってかわって北風が強い。ススキやサンザシも揺れる。
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ルクリア ココ

窓辺のルクリア ココ。気持ちのいい朝。
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