どうしたんだ日記

Resonating with the landscape

2020年02月

カランコエ花盛り

カランコエ2 挿し木ができるカランコエが増えています。黄色の小さな花をみるとホッとします。

しだれ梅

しだれ梅

朝陽

朝陽

文化座 炎の人

文化座 炎の人-1 代々木のスペースゼロで。
 藤原章寛さん演じる心優しいが直情的で激しやすいゴッホは強烈だった。精神を蝕まれるに連れ徐々に広がってゆく感情の振れ幅の表出など鬼気迫るものがあった。鍛冶直人さん(文学座)は決して笑うことのない眼で冷徹なゴーガンを演じ、その風狂ぶりも実に印象的だった。若手とベテランのエネルギーが調和した見事な舞台は190分超の長さをまったく感じさせなかった。佐々木愛さんのおかみ(タンギィの妻)を最前列で見ることができたのも幸せだった。
 この戯曲の圧巻はひとつにエピローグだろう。不遇に斃れたゴッホの短くも炎のような生涯を慰め賞賛する弔辞であると同時に、あらゆる創造を志す人々への励ましともとれる名文は三好十郎の背骨の在処だ。
 ところでエピローグには長谷川利行や村山槐多、青木繁の名も出てくる。ゴッホも含めてみんな好きな画家だ。だけど友達にはあまりしたくない。貸したお金は返ってこなさそうだし、酒席の度に胸ぐらをつかまれそうだし、芸術の話を始めたら2晩3晩寝ないだろうし、とにかく振り回されてとんでもない目にあいそうなところが共通している。四人とも絶えず純粋と狂気と交互にメーターを振り切りながら生きてブツリと夭逝してしまった。それぞれに一度でも見たら夢に出てきそうな凄みを湛えた自画像があり、どれもが「オイ、オマエ、イキテイルカ」と過剰な精力を振り撒きながらぼくに問うてくる。
 
赤傍線 (1) 去年の夏、鈴木瑞穂さんから頂いた蔵書の一冊に『炎の人ーゴッホ小伝』がある。今朝本棚から取り出して開いてみたらゴーガンのセリフとト書きのすべてに赤の傍線が丁寧に引かれてあった。発行元は東京白川書院で奥付は1981年だ。83年の1月に読売ホールで劇団銅鑼が「炎の人」(演出・早川昭二)を上演しているので、ゴーガンを演じた瑞穂さん(ゴッホは森幹太さん)はこの本で役作りを始められたのではないか。来月お会いするので伺ってみようと思う。
赤傍線 (2)

ひらく

1050091 窓から朝日が差し込むと、見る間に花がひらいてゆきます。見ているこちらの気持ちもひらかれます。花のある生活

春色

春色花束 昨夜、近所のフラワーショップで選んできた。店に並ぶ花も明るい色が多くなった。
  今朝は穏やかな晴天。


春色

春一番

 雲が速い。春一番

西日の河津桜

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 石神井川にかかる中根橋のたもとに、一本だけ河津桜がある。あとひと月もすれば延々と川沿いを埋めるであろう桜は有名だが、こちらは地元の人くらいにしか知られていない。日が傾きかけた頃ちょうど車で通りかかった。朝日が植物の生命力を際立たせるのに対して夕日はそれを包容する照明家だ。川面の乱反射も柔らかい。
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朝撮り洋蘭

朝撮り蘭つぼみが開き始めた。クリックするとわかるけど玉の汗をかいている。名前が判明した。アイスキャスケード。














朝撮り蘭つぼみ (1)

少年寅次郎

少年寅次郎 (2) あらゆるシーンにあの寅さんが滲んで重なった。さもありなんと思わせる生い立ちを見事に描いて離さない。気の小さい実のお父ちゃん平造による言葉の刃と、実の母ではないが大好きなお母ちゃん光子の深い愛情。そのはざまで葛藤しつつ成長する寅次郎に何度も笑って、泣いた。兄に可愛がられながらも、それ以上に兄を思う健気な妹さくら、悪童の甥っ子を何かにつけて気にかけるおいちゃんとおばちゃん、いつも仏の心で見守り、受けとめてくれる御前さま。それぞれの思いやりと優しさが慈雨のように、多感な少年寅を濡らす。突然にやってきたお母ちゃんとの悲しい別れ。これがきっかけとなって旅立ちを決意した寅次郎の、「オレは居ないほうがいいんだ」とさくらを諭す姿には胸が詰まった。だけどそこは未来のフーテンである。辛いことはたちまち忘れるし、早々と易者に指摘された“女難”?の片鱗もちらほらり。まあこっちは行く末を知っているわけだから変な安心感があるというわけだ。泣き笑い止まず、5話全部見終わったらティッシュひと箱がほぼ空になっていた。
カワヅザクラ2 (1)










カワヅザクラ2 (2)









カランコエ