2020年09月
「生きることは他傷行為であることにほかならない…」。この本を初めて手にしたとき、ぱらぱらとページをめくったら目に飛び込んできた言葉だ。
井田真木子さんは80年代から90年代にかけて名をはせたノンフィクション作家で2001年に44歳で急逝した。『プロレス少女伝説』で大宅壮一ノンフィクション賞、『小連の恋人』で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。一貫して少数派の人々の中に居続けた。その目線は低く、視野はどこまでも広い。仕事に向かう姿勢は凄まじいものがあり、本当に「寝食を忘れて」栄養失調と過労で倒れることも一度や二度ならずだったという。そんな井田さんの本もすべてが絶版になっていたが、6年前に里山社という小さな出版社からこの著作撰集が刊行された。作家と作品を再び世に問いたいという代表清田麻衣子さんの強い思いが2段組500超ページ2冊になった。
『プロレス少女伝説』は女子プロレス人気がピークだった80年代に書かれた。長与千種、神取忍、天田麗文、メデューサ・ミシェリーの4人のレスラーへのインタビューを柱に当時の女子プロレス界と社会背景を活写している。ライオネス飛鳥とクラッシュギャルズを組んで大看板だった長与、柔道時代から異端児として注目され、プロレス転向後も自分を曲げなかった神取、中国から12歳の時に日本に呼び戻され、団地の部屋でテレビだけが友達だった天田、幼いころ親の虐待を受けながらも、人一倍の自立心と洞察力で十代でビジネスの世界に入った経験を持つアメリカ人メデューサ。生まれも育ちも異なる4人の本音の自分語りはそれだけで十分魅力的だが、各々の言葉が女子プロレスという箱の中で響き合い鏡となりその内側の事情を映し出してこれも見事だ。それは例えば人間どうしが個性と個性をぶつけ合い受け止め合って即興的に創りだすプロレスの妙味であり、華やかな表舞台には現れることのない家父長的、保守的で閉鎖的とも言える体質である。女子プロレスの源流を求めて江戸中期の女相撲へと遡ることも忘れない。浮かび上がってくるのは見世物小屋、特に男性の慰み物としての歴史だ。それを踏まえると男性中心だった客層が十代二十代の女性にとって代わっていった当時の記述は興味深い。83年夏のこと、会場の一画を占めるさきイカと缶ビールを手にした男性客に対して女性客が足で床を踏み鳴らし“カエレコール”の大合唱を起こしたのだ。偶然この場に居合わせたことで井田さんは女子プロレスを追い始めた。本人が直接言及することはなかったようだが、井田作品は根底にフェミニズムの水路があり再評価される今その文脈で語られることも多い。
神取忍さんによると、現在では一般化している「心が折れる」という言葉は井田さんが引き出したのだという。神取さんの挑発でセメントマッチになったジャッキー佐藤との試合をふりかえるインタビューで神取さんが、「相手の心を折ろうと思った」と打ち明けたのだ。
今は府中青年の家利用拒否訴訟が取材のきっかけとなった『同性愛者たち』を読んでいる。ほぼ30年前の著作だが先見性と問題提起の深さと角度に驚くばかりだ。井田さんは徹底した現場主義の人だ。もっと言うと徹底した対話主義の人だった。他者への想像力に長けていて優しくてしつこくて時に意地が悪い。詩を持ち自分を取り繕わず無防備である。それはノーガードでリングに立つあしたのジョーこと矢吹丈のようだ。マイノリティの人々のパンチを誘っては全身で受け止め、ペンに乗せた渾身のストレートで社会を問い、何よりも自分自身を問うた。そしてジョーと同じく燃え尽きて白い灰になってしまった。冒頭に記した言葉の源泉を求めながら、井田真木子著作撰集を読み尽くそうと思う。
井田真木子さんは80年代から90年代にかけて名をはせたノンフィクション作家で2001年に44歳で急逝した。『プロレス少女伝説』で大宅壮一ノンフィクション賞、『小連の恋人』で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。一貫して少数派の人々の中に居続けた。その目線は低く、視野はどこまでも広い。仕事に向かう姿勢は凄まじいものがあり、本当に「寝食を忘れて」栄養失調と過労で倒れることも一度や二度ならずだったという。そんな井田さんの本もすべてが絶版になっていたが、6年前に里山社という小さな出版社からこの著作撰集が刊行された。作家と作品を再び世に問いたいという代表清田麻衣子さんの強い思いが2段組500超ページ2冊になった。
『プロレス少女伝説』は女子プロレス人気がピークだった80年代に書かれた。長与千種、神取忍、天田麗文、メデューサ・ミシェリーの4人のレスラーへのインタビューを柱に当時の女子プロレス界と社会背景を活写している。ライオネス飛鳥とクラッシュギャルズを組んで大看板だった長与、柔道時代から異端児として注目され、プロレス転向後も自分を曲げなかった神取、中国から12歳の時に日本に呼び戻され、団地の部屋でテレビだけが友達だった天田、幼いころ親の虐待を受けながらも、人一倍の自立心と洞察力で十代でビジネスの世界に入った経験を持つアメリカ人メデューサ。生まれも育ちも異なる4人の本音の自分語りはそれだけで十分魅力的だが、各々の言葉が女子プロレスという箱の中で響き合い鏡となりその内側の事情を映し出してこれも見事だ。それは例えば人間どうしが個性と個性をぶつけ合い受け止め合って即興的に創りだすプロレスの妙味であり、華やかな表舞台には現れることのない家父長的、保守的で閉鎖的とも言える体質である。女子プロレスの源流を求めて江戸中期の女相撲へと遡ることも忘れない。浮かび上がってくるのは見世物小屋、特に男性の慰み物としての歴史だ。それを踏まえると男性中心だった客層が十代二十代の女性にとって代わっていった当時の記述は興味深い。83年夏のこと、会場の一画を占めるさきイカと缶ビールを手にした男性客に対して女性客が足で床を踏み鳴らし“カエレコール”の大合唱を起こしたのだ。偶然この場に居合わせたことで井田さんは女子プロレスを追い始めた。本人が直接言及することはなかったようだが、井田作品は根底にフェミニズムの水路があり再評価される今その文脈で語られることも多い。
神取忍さんによると、現在では一般化している「心が折れる」という言葉は井田さんが引き出したのだという。神取さんの挑発でセメントマッチになったジャッキー佐藤との試合をふりかえるインタビューで神取さんが、「相手の心を折ろうと思った」と打ち明けたのだ。
今は府中青年の家利用拒否訴訟が取材のきっかけとなった『同性愛者たち』を読んでいる。ほぼ30年前の著作だが先見性と問題提起の深さと角度に驚くばかりだ。井田さんは徹底した現場主義の人だ。もっと言うと徹底した対話主義の人だった。他者への想像力に長けていて優しくてしつこくて時に意地が悪い。詩を持ち自分を取り繕わず無防備である。それはノーガードでリングに立つあしたのジョーこと矢吹丈のようだ。マイノリティの人々のパンチを誘っては全身で受け止め、ペンに乗せた渾身のストレートで社会を問い、何よりも自分自身を問うた。そしてジョーと同じく燃え尽きて白い灰になってしまった。冒頭に記した言葉の源泉を求めながら、井田真木子著作撰集を読み尽くそうと思う。
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